東京地方裁判所 平成5年(ワ)512号 判決 1995年12月25日
主文
一 本訴原告の本訴被告らに対する本訴請求をいずれも棄却する。
二 反訴原告と反訴被告との間において、反訴原告が別紙物件目録一記載の土地及び同目録二記載の建物につき所有権を有することを確認する。
三 訴訟費用は、本訴及び反訴を通じ、本訴原告・反訴被告の負担とし、参加によって生じた費用は本訴原告・反訴被告補助参加人らの負担とする。
理由
一 前提事実
亡ハナが本件物件を所有していたこと、本件物件につき、本訴請求原因2、3記載の各登記がされていること、甲野が被告乙山屋の代表者であり、参加人杉山が原告の代表者であったこと、甲野が原告の代表取締役として本件登記の登記申請手続を行ったこと、被告乙山屋が原告に対し昭和六一年一〇月二一日一七億八〇〇〇万円を支払ったこと、本件物件につき昭和六三年九月一四日被告乙山屋の債権者から差押えを受けたことは当事者間に争いがなく、これらの事実に、《証拠略》を総合すると、以下の事実を認めることができる。
1 当事者
(一) 被告乙山屋は、米麦雑穀の搗精加工業等を目的とする会社であり、昭和四一年一〇月二〇日から甲野が代表取締役を勤めている(以下、甲野が被告乙山屋を代表する場合にも単に「甲野」ということがある。)。
(二) 原告は、旧商号を株式会社丸弘商会といい、製紙原料の回収販売業等を目的とする会社であったが、昭和六〇年一月二二日に現在の商号に変更登記するとともに、目的も不動産賃貸業等に変更された。後述する経緯で昭和六三年九月一三日に甲野が代表取締役に就任(その有効性には争いがあり、現在職務代行者が就任している。)するまでは、参加人杉山が代表取締役に就任していた。
(三) 参加人杉山は、長年個人又は会社形態で金融業等を営んでいた者であり、<1>不動産賃貸業等を目的として港区芝に本店を置く友和ビルディング株式会社(原告とは別会社である。前商号・友和土地株式会社、前々商号・不動ビル株式会社)を中心に、<2>三島市所在のホテル伽羅園を経営するホテル大和観光株式会社、<3>金融業等を目的として中央区銀座に本店を置く株式会社シー・エム・シー(前商号・不動ビル株式会社(本店所在地渋谷区初台、右<1>とは別会社である。)、前々商号・日本短資株式会社(本店所在地渋谷区円山町)。以下「不動ビル」という。)など、原告を含めて多数の会社で代表取締役又は大口株主などとして、その経営に関与していた(以下、参加人杉山が当時の原告又はその関連会社を代表又は代理する場合にも単に「参加人杉山」ということがある。)。
(四) 被告乙山屋は岩田亮吉の紹介で参加人杉山から借入れを受けるようになり、当初は杉山個人から、その後は右関連会社から借入れを行っており、昭和五九年九月ころには不動ビルに対する借入残額は一億〇五〇〇万円に上っていた。
2 本件建物の建築
(一) 本件土地は甲野の実母である亡ハナが所有していたものであり、同人は、本件建物が建築されるまで本件土地上にあった軽量鉄骨造二階建貸店舗及び木造二階建建物も所有し、前者は株式会社今佐に、後者は被告乙山屋に賃貸していた。なお、被告乙山屋は、金融機関から融資を受ける場合には、亡ハナから本件土地の担保提供を受けており、本件土地は被告乙山屋の資金繰りの上でも重要な役割を果たしていた。
(二) 被告乙山屋は、昭和五五、六年ころ西新宿に土地を購入して賃貸マンションを建築したが、賃料収益が思うように挙がらず、資金繰りが悪化するようになり、やむなくこれを売却した後も数億円の借金が残った。
(三) そこで、甲野は、新たな事業展開として本件土地に賃貸ビルを建築することを計画し、昭和五八年七月一八日、亡ハナは株式会社今佐との間で、株式会社今佐に新築後の建物の一階部分三九・六七平方メートル及び地下一階部分を賃貸することを認めることを約して、立退きの合意を得たが、賃料を一か月二〇万円とする、敷金は旧賃貸借契約の敷金を流用する、賃借権の譲渡ができる、賃貸部分の内装工事は亡ハナの負担で行うなどの条件が付され、株式会社今佐に極めて有利な内容であった。
(四) 亡ハナと大日成建設株式会社は、同年一二月二二日、本件建物の工事請負契約を請負代金一億九〇〇〇万円の約定で締結し、亡ハナは同月二六日に頭金二〇〇〇万円を支払った。
右請負代金の支払方法は、右頭金のほか、上棟時六〇〇〇万円、完成引渡時(昭和五九年一二月二八日予定)一億一〇〇〇万円とされたが、被告乙山屋はほとんど自己資金がないため、右代金は本件土地を担保に株式会社シー・エル・シー・エンタープライズ(以下「シー・エル・シー」という。)からの借入金によって賄うことを予定した。
(五) 亡ハナは、昭和五八年一二月二七日、根抵当権者をシー・エル・シー、債務者を被告乙山屋、極度額を七億五〇〇〇万円として本件土地に根抵当権を設定し、昭和五九年一月二〇日、シー・エル・シーから被告乙山屋に対して六億四〇〇〇万円の融資が実行された。なお、完成引渡時の支払いに充てるための一億一〇〇〇万円の追加融資についても内諾が得られた。
3 本件物件の売買契約
(一) 被告乙山屋は前述のような多額の借金を抱え、亡ハナも別件の訴訟事件を抱えており、シー・エル・シーからの右融資金はその後建築資金以外の支払いに流用してしまい、上棟時に支払うべき六〇〇〇万円の資金や当面の運転資金さえ手当てができない状況になった。
そこで、甲野は参加人杉山に援助を要請したが、不動ビルの一億〇五〇〇万円の融資さえ無担保であったことから、昭和五九年九月ないし一〇月ころ、甲野、参加人杉山及び両名の顧問弁護士であった岡田優(以下「岡田弁護士」という。)の間で、本件物件の売買ないし買戻特約付売買が話題に上るようになった。
(二) 同年一一月七日及び同年一二月五日の二回にわたり、参加人杉山、岡田弁護士、亡ハナ、甲野、岩田亮吉らが、亡ハナの居所であった丙川松夫宅に一堂に会し、亡ハナと参加人杉山との間で、本件物件の売買契約が合意された(買戻特約の有無、代金額、買主側当事者等の詳細は後に判断する。右売買契約を以下「本件売買契約」という。)。
本件売買契約の代金の支払方法については、被告乙山屋のシー・エル・シーに対する借入金等を買主において引き受けるとともに、被告乙山屋の不動ビル等に対する債務を充当することなどが合意された。
なお、同年一二月五日の右二回目の会合の際、参加人杉山から亡ハナに対し八〇〇〇万円(現金六〇〇〇万円及び預金小切手二〇〇〇万円)が支払われ、亡ハナは内六〇〇〇万円を大日成建設株式会社に対する請負代金(上棟時支払分)に充ててこれを支払った。
4 本件建物の完成、引渡し
(一) 昭和六〇年一月一六日、本件建物の表示登記がされ、同年一月二四日、亡ハナは所有権保存登記を了するとともに、シー・エル・シーのために根抵当権(極度額七億五〇〇〇万円、本件土地との共同担保)設定登記等を経由した。
他方、原告は、同年一月二二日に前記1(二)のとおり商号及び目的の変更を行った上、同年二月七日、本件物件につき亡ハナから本件売買契約に基づく所有権移転登記を受けた。
(二) 亡ハナは、同年二月二五日、原告から一億三五六〇万円の融資を受けて、大日成建設株式会社に対する請負代金残金(約定の一億一〇〇〇万円及び追加工事分二五六〇万円)の支払いを行い、本件建物の引渡しを受けた。なお、右支払いについては、当初はシー・エル・シーからの借入金を充てることを予定していたが、亡ハナはシー・エル・シーに無断で本件物件の所有名義を原告に移転したことから、その関係が悪化し、融資が実行されなくなったものである。
(三) そのころ、本件建物に立ち入ろうとした株式会社今佐の関係者を原告の関係者が阻止するという事件が発生し、株式会社今佐は、同年三月四日、原告を債務者として、本件建物につき占有移転禁止(断行)及び処分禁止の仮処分を申し立てた。この仮処分申請事件においては、株式会社今佐は、亡ハナが本件建物を原告に売却したのは詐害行為に当たると主張し、これに対し、原告は、岡田弁護士を代理人として、亡ハナと株式会社今佐の間の賃貸借契約につき善意であったなどと主張し、疎明資料として、本件丙二四、二五の各売買契約書、これに基づく代金の領収書、「請負工事代金の資金繰りがつかなくなって、やむなく原告に売却した」との趣旨の亡ハナの供述録取書等を提出した。
右仮処分申請事件は、同年四月五日、原告並びに利害関係人として参加した甲野、被告乙山屋及び亡ハナが連帯して株式会社今佐に二六〇〇万円を支払う旨の和解が成立し、同年四月一五日、原告名義により右二六〇〇万円が株式会社今佐に支払われた。
5 本件買戻金の授受
(一) 本件物件の完成・引渡後、甲野(被告乙山屋)は、引き続き本件物件の登記済権利証を預かり保管するとともに、原告の代表者印を預かり、本件物件についての賃貸借契約の締結、賃料増額交渉、保証金及び賃料等の受領、固定資産税等の支払いなどの管理運営を行った。
(二) この間、甲野と参加人杉山の間では本件物件の買戻し等の交渉が行われ、甲野は昭和六一年八月一二日川崎実業株式会社(以下「川崎実業」という。)から二二億円の融資を得て、同年一〇月二一日、甲野から参加人杉山の使者である宮川潔に対し、預金小切手三通で一八億五〇〇〇万円を支払った。内一七億八〇〇〇万円は被告ら主張の本件買戻金(その法的な意味は後に検討する。)、残余の七〇〇〇万円は被告乙山屋の不動ビルからの借入金の返済金であり、右預金小切手三通とその金額の内訳は参加人杉山側の指示によるものである。
(三) なお、亡ハナのシー・エル・シーに対する借入金債務六億四〇〇〇万円は、原告において引き受けられて、昭和六〇年一二月に株式会社日貿信に、昭和六一年六月に株式会社住友銀行にそれぞれ借替えが行われていたところ、原告は、右一八億五〇〇〇万円の授受の当日、その一部を同銀行に対する返済金に充てて完済し、同日、同銀行の本件物件に対する根抵当権(債務者原告、極度額合計一〇億円)は抹消され、代わって、川崎実業の抵当権(債務者被告乙山屋、債権額二二億円)が設定された。
6 被告乙山屋による本件登記の実現
(一) 甲野は、本件買戻金の支払いにより原告の全株式を買い取ったと理解し、原告の名義で本件物件の管理運営を行っていたが、本件買戻金の授受に際し宮川から仮領収証の交付を受けただけで、その後、参加人杉山や岡田弁護士に対し、正式の領収証、役員変更、株式譲渡等に係る関係書類を要求しても応ぜず、これらは交付されないまま推移した。
(二) その後、昭和六三年一月一八日、亡ハナが原告を債務者とする本件物件の処分禁止の仮処分申請を行ったことなどを契機として、同年九月二日、参加人杉山は、甲野に対し、本件買戻金は借入金に過ぎず、買戻しの事実はないとして、甲野が本件物件の賃料等を受領していることに抗議する内容の書簡を送付するに至った。
(三) こうした中で、川崎実業の被告乙山屋に対する貸金の返済期限である昭和六三年八月一一日が経過したが、甲野には本件物件を担保に借替えを行うほかに資金手当てを行う術はなく、参加人杉山の協力が得られないためその方途も断たれ、同年九月一四日には、川崎実業の競売申立てに基づき、本件物件は差押えを受けるに至った。
(四) そこで、やむなく甲野は、昭和六三年九月八日付けで、自らを取締役に選任する旨の原告株主総会決議、自らを代表取締役に選任する旨の原告取締役会決議の各議事録、参加人杉山らの辞任届等の関係書類を作成し、同年九月一三日、参加人杉山らの辞任、甲野の代表取締役就任の登記を行った。そして、甲野は、同年一〇月三日、登記義務者である原告と登記権利者である被告乙山屋の各代表者を自らが兼ねているとして、本件物件につき真正な登記名義の回復を原因として、本件登記の申請手続を行い、これが受理された。
その後、甲野は、同年一〇月一一日、本件物件に抵当権を設定して被告第一コーポレーション(当時の商号・住宅流通株式会社)から二四億円を借り受けて、川崎実業への支払いに充て、同年一〇月一四日前記差押登記が、同年一〇月一七日川崎実業の抵当権設定登記がそれぞれ抹消された。
(五) 参加人杉山らは、昭和六三年中に、原告に対して、前記株主総会決議及び取締役会決議等の不存在確認を求める訴訟(当庁昭和六三年(ワ)第一七二二四号株主総会決議不存在確認等請求事件)を提起するとともに、甲野らの職務執行停止代行者選任の仮処分申請を行い、また、甲野を有印私文書偽造等で原宿警察署長に告訴した。
二 本件物件の所有権の帰属
1 右一の認定事実に基づいて、本件物件の所有権の帰属について判断するに、被告らは、本件売買契約には買戻しの合意があり、本件買戻金の授受に伴い買戻しが実行されたと主張し、甲野の供述及び乙四五(別件における証人岩田亮吉の証人調書)に右主張に沿う記載ないし供述があるほか、買戻特約の記載のある売買契約書(乙九)を提出する。
しかし、右乙九の売買契約書を子細に検討すると、売主は亡ハナ、買主は不動ビル、代金は一〇億五〇〇〇万円として売買契約を締結した旨(第一条、第二条)、買戻特約として、買戻額は右代金に諸費用を加えたもの、買戻期限は昭和六〇年八月末日まで、買戻しの条件は別途協議する旨(第八条)の記載が見られるが、コクヨの事務用せんに鉛筆で手書きしたものであり、目的不動産の表示や通常の契約書では末尾に記載されるべき当事者の署名(記名)押印もなく、作成日付を含めて一部ボールペンによる加入訂正がされていることが明らかである。このような書面の体裁及び起案者である岡田弁護士の供述に照らせば、乙九は同弁護士の契約書の草稿に過ぎないというべきであって、確定的な買戻付売買契約を証する処分証書としての性格を認めることはできない(なお、原告及び原告補助参加人らは、不動ビル作成文書としてその成立を否認しており、その意味での真正な成立を認めることはできないが、作成者を岡田弁護士とする草稿としての成立は認めることができる。)。そして、他に、被告ら主張の買戻特約の存在及び本件買戻金の趣旨を示す直接的な書証はないから、結局、右主張の成否は、主として甲野の供述の信用性にかかっていると解される。
2 甲野の供述の要旨は以下のとおりである。
ア 前記一3(一)の経過で、甲野が参加人杉山に資金援助を要請したところ、参加人杉山から本件物件を担保に供する趣旨で本件物件の名義を不動ビルに移転することが提案され、昭和五九年一一月七日、岡田弁護士が乙九の売買契約書草稿を作成し、甲野は亡ハナの了解を得て、売主は亡ハナ、買主は不動ビル、代金は一〇億五〇〇〇万円とする買戻特約付売買契約が合意された。
イ この合意に基づき、同年一二月五日、乙九と同一内容の署名(記名)押印のある正規の契約書一通が作成されたが、この契約書は参加人杉山が持って帰り、写しも交付されなかったため、本件訴訟には提出できない。
ウ これとは別に、亡ハナ、原告間の昭和五九年一一月七日付け、昭和六〇年一月三一日付けの買戻特約のない本件物件の売買契約書が二通作成されているが、これらは、株式会社今佐を追い出すために買戻特約がないかのように偽装して、後日作成日付を遡らせて作成したものであり、売買代金の領収証も、同様に株式会社今佐との間の仮処分事件用に後日作成されたものである。
エ 右買戻特約付売買契約において合意された一〇億五〇〇〇万円の代金については、<1>不動ビルが被告乙山屋に貸し付けていた一億〇五〇〇万円を充当し、<2>その後の本件建物の工事代金の支払いのために九五〇〇万円及び一億円の資金援助を約し、<3>残額七億五〇〇〇万円については、被告乙山屋のシー・エル・シーからの借受金債務(実行済みが六億四〇〇〇万円、融資予定額が一億一〇〇〇万円)を不動ビルが引き受けて支払うこととされたものである。
オ ところが、折から原告は昭和五九年三月に宇都宮市内の自己所有不動産を代金四億円で売却し、譲渡所得についての買換え資産の課税の特例の適用を受けるため、参加人杉山の要請で、本件売買契約の買主を不動ビルから原告に変更することとなり、昭和六〇年一月三一日ころ、その旨の念書が作成されたが、買戻しについての合意は引き継がれた。
カ この間、甲野は、参加人杉山から、昭和五九年一二月五日に八〇〇〇万円(利息を加えて九五〇〇万円)、昭和六〇年二月二五日に一億三五六〇万円の各資金援助を受けて、大日成建設株式会社に対し、それぞれ上棟時支払分六〇〇〇万円、引渡時支払分一億三五六〇万円を支払った。
キ 株式会社今佐との間の仮処分事件が片付いた後、甲野は参加人杉山との間で買戻しについての交渉を行い、参加人杉山から、買換え特例を受けた関係上、本件物件の所有名義は変更することなく、原告の株式を甲野に譲渡することにより、事実上本件物件の支配権を甲野に委譲するという提案がされ、甲野もこれを了承した。
ク 買戻代金については、前記の一〇億五〇〇〇万円に、大日成建設に対する追加工事代金二五六〇万円が加わったほか、参加人杉山から株式会社今佐の追い出し費用等の上乗せを要求され、結局金利等も加えて、昭和六一年九月二〇日ころ、一七億八〇〇〇万円と合意され、これに被告乙山屋の別口の借入金七〇〇〇万円を併せた一八億五〇〇〇万円を一括して支払うこととされた。
ケ 甲野は、この合意に基づき、同年一〇月二一日、川崎実業から借り入れた二二億円から本件買戻金一八億五〇〇〇万円を支払い、本件物件を原告の会社ごと買い戻した。その際、仮領収証しか交付されなかったが、当時甲野と参加人杉山の双方の顧問をしていた岡田弁護士が同席していたことから、その場ではそれ以上は要求しなかった。
3 甲野の右供述に対しては、次のような反対証拠が提出されている。
(一) 甲野の供述に対する主要な反対証拠として、丙二四、二五の売買契約書、丙二六ないし三一の領収証、参加人杉山の供述があるほか、岡田弁護士の供述も概ね参加人杉山の供述に沿うものである。
(二) 丙二五は、昭和五九年一一月七日付けの亡ハナと原告の間の代金一一億七〇〇〇万円の売買契約書、丙二四は、昭和六〇年一月三一日付けで右契約を一部変更して、代金額を一一億九五六〇万円としたものであり(追加工事代金二五六〇万円を上乗せした趣旨と解される。)、いずれにも買戻特約の記載はなく、亡ハナの署名押印及び原告の記名(当時丸弘商会株式会社代表取締役杉山仁治)押印がされている。また、丙二六ないし三一は、本件物件の売買代金である旨が明記された亡ハナ名義の原告宛の領収証等である。
なお、被告乙山屋は、右丙二四ないし三一の亡ハナ作成部分の成立をいずれも否認しているが、甲野の供述によれば、当時亡ハナから事実上全権の委任を受けていた甲野が自ら署名押印したことは明らかであり、真正に成立したものと認めることができる。
(三) また、参加人杉山及び岡田弁護士の各供述の要旨は、甲野は請負代金の支払いに窮して本件物件の売却を持ちかけたのであり、その際の交渉の過程では買戻しという話も出て、乙九の契約書草稿を岡田弁護士が作成した経過はあるものの、最終的には右丙二四、二五の各作成日付のころ、それぞれの内容で売買契約が締結されたというものである。また、本件買戻金については、甲野が取得していた本件建物の賃料等の清算を行う前提で、甲野から借り入れたものであると供述する。
(四) 以上のとおり、供述証拠に関しては、甲野の供述と参加人杉山及び岡田弁護士の供述が対立しあっているものの、売買契約書に関しては、その体裁から形式的に見る限り、丙二四、二五が最終的かつ確定的な合意内容を記載したもののごとくであり、売買契約書の草稿に過ぎないと認められる乙九と対比して、買戻特約の存在を否定する有力な証拠といい得る。
しかし、単に契約書の形式だけから、買戻特約の存在を否定することは相当ではなく、客観的な状況証拠に照らしつつ、甲野の供述の信用性と反対証拠の評価をさらに吟味する必要がある。
4 そこで、甲野の供述の信用性について、前記一の認定事実に照らしつつ、以下検討する。
(一) 前記一2の本件建物の建築に至る経過に照らすと、もともと甲野は、本件土地の担保力を頼りにして、借入金によって本件建物を建築することを計画したのであり、たしかにシー・エル・シーからの六億四〇〇〇万円の借入金をすべて請負代金以外に流用してしまい、その支払いに窮したという事情のあることは前示のとおりである。しかし、他方において、<1>被告乙山屋は、甲野が代表取締役に就任した直後の昭和四二年ころから、常時、登記簿上で数億円の(根)抵当権の負担を抱えつつも、本件土地の担保力を背景に逐次借替えを行うなどして経過しており、昭和五九年当時本件土地には極度額七億五〇〇〇万円のシー・エル・シーの根抵当権しか設定されていなかったこと、<2>本件土地は、西新宿地区に近接し甲州街道に面した交差点の角地という好立地条件にあり、当時、東京都庁の進出を見越した思惑もあって飛躍的に地価が上昇しており、なお担保余力があったと窺われることなどの事情に照らすと、新たな事業展開として本件土地上に賃貸ビルの建築を計画した甲野において、本件建物を完成させるために、右計画の遂行上不可欠とも目される本件土地までも手放して手元には何も残らなくなるような結果を招く経済行動を選択したとは容易には考え難く、むしろ、甲野から参加人杉山に対する援助の依頼は、融資を主眼とするものであったと考える方が自然である。
なお、本件売買契約における代金額及びその支払方法についても、被告乙山屋の不動ビルに対する既存債務額と、甲野側の請負代金の支払いのための資金需要等に基づいて定められていることが窺われるところであり、このことも、本件売買契約の実質的な目的が右のとおり金融にあったことを示唆するものといわなければならない。
(二) また、いずれも買戻特約の記載のない丙二四、二五の各売買契約書についてみるに、丙二四の売買契約書の作成日付(昭和六〇年一月三一日)と同一日付で、不動ビル及び原告の連名による亡ハナ宛の念書が作成されており、その内容は、本件物件につき亡ハナと不動ビルの間において売買契約が締結されたこと、買主名義を不動ビルから原告に変更登記するが、すべて亡ハナと不動ビル間の右売買契約に準ずるものとすることを確認したものである。そうすると、本件訴訟には提出されていないものの、甲野の供述において指摘されているように亡ハナと不動ビルとの間の売買契約書が存在することが推認されるというべきであり、乙九や甲野の供述を総合すると、その売買契約には買戻特約が付されていたと考えることはあながち無理な推論であるとはいえない。
また、本件物件の買主が当初不動ビルとされていたところ、後に原告に変更されたという右念書の記載内容は、甲野の供述ばかりでなく参加人杉山及び岡田弁護士の各供述にも沿うものであるが(その変更の理由は、原告が買換え特例の適用を受けるためとされる。)、そうとすれば、買主が原告とされている丙二五の売買契約書が、右念書の作成(昭和六〇年一月三一日)に先立つ昭和五九年一一月七日に作成されたとするのは不自然、不合理といわざるを得ず、前記乙九の売買契約書草稿(昭和五九年一一月七日付けで買主は不動ビルとされている。)及び甲野の供述をも併せ考えると、丙二五の売買契約書は、後に日付を遡らせて作成された疑いがあるというべきである。
そして、当時の客観的状況として、<1>株式会社今佐と亡ハナは、新築後の本件建物の一部の賃貸借に関して、株式会社今佐に極めて有利な内容の契約を締結しており、株式会社今佐の再入居を事実上阻止するためには、本件建物を亡ハナから第三者に売却した外観をとった方が好都合であるという側面があったこと、<2>他方、原告は、当時宇都宮市内の自己所有不動産を代金四億円で売却して多額の譲渡所得が見込まれたことから、当該譲渡所得税の納付に当たって租税特別措置法による買換え資産の課税の特例を活用したいという希望を有していたことを指摘することができるのであり、これらの点からすると、買戻特約があったとしても、これを対外的に明らかにすることが契約当事者の双方にとって不都合な状況であったということができる。
さらに、丙二四、二五には、殊更に事実確認条項として、亡ハナが原告に本件物件を売却するに至ったのがやむを得ない事情であったとの趣旨の記載が長々と記載されていること、乙二八は丙二四とほぼ同趣旨の売買契約書であるが、微妙に記載内容が異なっており、何故このような操作をするのか不明であることなど、丙二四、二五の売買契約書には不審な点がある。
こうした状況を総合すると、丙二四、二五の作成経緯に関する甲野の供述は、一応首肯するに足りるものといえる。
(三) 次に、本件建物の完成後、本件物件につき賃貸借契約を締結したり、保証金及び賃料等を取得し、賃料の増額交渉を行い、固定資産税を支払うなどの事務等は、もっぱら甲野が行っており、登記済権利証も甲野が所持していたことは前記認定のとおりであり、このことは、甲野側が本件物件につき完全に原告に所有権を移転して、本件物件につき何らの権利も留保していないとしたならば、極めて不自然なことといわなければならない。
なお、この点について、参加人杉山の供述中には、受領した賃料の引渡しを請求したが、甲野がこれに応じなかったとの部分があるが、当時の甲野と参加人杉山の力関係、両者の事業経歴及びこれから容易に推測される事業家としての才覚を併せ考慮すると、到底納得できるものではない。
(四) そして、本件買戻金の授受が現実にされたということは、それ自体、甲野の供述を裏付ける極めて重要な事実ということができる。
すなわち、甲野と参加人杉山の関係は、もっぱら参加人杉山又はその関連会社が金融業者として甲野の資金需要に応じて融資を行うという関係で推移してきたものであり、買戻しの実行でもない限り、甲野において、金融機関から巨額の借受けをしてまで、一八億五〇〇〇万円もの金員を交付すべき理由は全く見い出せない。もっとも、原告は、本件買戻金は、甲野が受領した本件物件の賃料等の精算を予定してされた借入金であると主張し、参加人杉山及び岡田の各供述中にはこれに沿う部分もあり、さらに、岡田弁護士の供述中には、賃料等の精算が終わった後に本件買戻金を原告の株式の譲渡代金に充当すべく具体的な交渉に入る予定であったとの部分もある。しかし、そもそも、賃料等の精算が必要であったかどうかについて、右(三)で述べたような疑問があるばかりでなく、本件買戻金が賃料等の精算で説明がつくような金額でないことは明らかというべきである。しかも、本件買戻金の支払いから本件登記の実現により甲野と参加人杉山の関係が破綻するまで、約二年間にわたり、賃料等の精算について具体的な交渉が行われたような形跡はないのであり、結局、原告側からは、本件買戻金の性格について首肯するに足りる説明は何らされていないといわざるを得ない。
(五) さらに、本件買戻金の授受の当日である昭和六一年一〇月二一日、川崎実業は債務者を被告乙山屋とする抵当権(債権額二二億円)の設定を受けており、参加人杉山の供述によれば、参加人杉山もこのことを承認していたことは明らかである。しかし、本件物件が完全に原告の所有に帰していたとすると、原告において被告乙山屋のために物上保証をしたことになるが、原告がこうした行為に出るべき理由は何ら見い出せず、参加人杉山ないし原告において、本件買戻金の授受をもって、被告乙山屋による本件物件の処分権限を承認したとしか考えられないというべきである。なお、前記一5(三)のとおり、原告はシー・エル・シーに対する債務の借替えを行っているが、これらはいずれも債務者を原告とするものであり、川崎実業の右抵当権とは明らかに事情を異にする。
(六) 最後に、丙川宅における二回にわたる本件売買契約の交渉(前記一3(二))に立ち会った岩田亮吉は、乙四五(別件における証人岩田亮吉の証人調書)中において、昭和五九年一一月七日の交渉の際、参加人杉山及び岡田弁護士が亡ハナに対し、本件売買契約は買戻特約が付されていることを乙九に基づいて説明し、その了解を得て、後日浄書の上正式の契約書を作成することを約し、また、同年一二月五日の交渉においては、岡田弁護士がワープロで浄書した買戻特約付の契約書を持参し、一同の前で読み上げたが、その契約書は一通しか作成されず、写しも交付されなかったなど、甲野の供述を全面的に裏づける具体的な証言をしており、乙三六にも同旨の記載があり、特に、昭和五九年一一月七日の件については、当時の岩田の手帳に「岡田弁護士と甲野太と先生の家へ行く。ハナさん立会い譲渡担保書類つくる。」と明記されていること(前記乙四五によれば、岩田は、買戻特約付売買契約を、契約書の記載と岡田弁護士の説明内容から譲渡担保と理解したことが窺われる。)に照らすと、その信用性は極めて高いものと評価することができる。
なお、《証拠略》によれば、被告乙山屋の顧問税理士をしていた宮田富雄は、本件買戻金は原告の株式の取得代金であると理解して、会社買収金の仮払金として会計処理したこと、原告は甲野が主宰しているとの認識の下に、甲野の指示に基づいてその後の原告の確定申告を行ったことが認められる。
5 以上に検討した諸点を総合考慮すると、丙二四ないし三一、参加人杉山及び岡田弁護士の各供述を初めとする前記のような反対証拠にもかかわらず、なお甲野の前記供述は概ね信用できるというべきであり、これに乙九、一〇、四五等の関係証拠を総合すれば、昭和五九年一一月七日、亡ハナと不動ビルとの間で、乙九の草稿に基づく口頭の合意として、買戻特約付売買契約が成立したこと、昭和六〇年一月三一日には右両者と原告の合意に基づき本件売買契約の買主たる地位が原告に譲渡されたことを認めることができ、この認定に反する前記各反対証拠は採用することができない。
そして、本訴抗弁1(三)の事実(亡ハナから被告乙山屋への本件売買契約の売主たる地位の譲渡)は、前記一の認定事実に甲野の供述及び弁論の全趣旨を総合すれば、これを認めることができる。
6 次に、本件買戻金の性格について判断する。
(一) これまでの認定判断を総合すれば、本件買戻金の趣旨が本件物件の支配権の取得にあったことは認められるところであるが(このことは甲野の供述ばかりでなく、岡田弁護士の供述においてもほぼ認めているところである。)、甲野の供述において、甲野自身は、本件買戻金の交付当時、本件物件の所有権というよりは原告の株式の取得を意図していたことが窺われるところであり、その法的な意義はさらに検討する必要がある。
(二) 《証拠略》によれば、<1>本件物件の買戻しの交渉に際して、本件物件を被告乙山屋が買い戻した場合、原告が受けた資産買換えの課税の特例による利益を放棄せざるを得なくなることが懸念され、これを回避するために、原告の全株式を被告乙山屋に譲渡することにより事実上本件物件の支配権を被告乙山屋に委譲するという方法が検討されたこと、<2>甲野においてこの方法には異存なく、本件買戻金の授受の時点では、これを株式の譲渡代金として処理されるものと理解したこと、<3>しかし、参加人杉山及び岡田弁護士側は、株式譲渡の方法によっても、結局は課税負担の回避が困難であるとの結論に至り、本件買戻金の授受に関する最終的な法的処理を留保したことが認められる。
(三) 右の事実からすると、本件買戻金の法的処理、本件物件の支配権の移転の法形式について、所有権の移転か、株式の譲渡かという点を含めて合意に至っておらず、したがって、本件買戻金は法的には預かり金ないし借入金に過ぎないと考える余地も全くないではなく、岡田弁護士の供述の趣旨とするところも右のとおりと解される。
しかし、甲野と参加人杉山において、紆余曲折を経て困難な交渉を重ねた末、一七億八〇〇〇万円という本件買戻金額が最終的に合意され、その支払手段とされた三通の預金小切手の内訳までも参加人杉山が指定した上、その使者である宮川において現にこれを受領したこと、原告は、右金員を取得して被告乙山屋による本件物件の管理処分権限を容認し、その後、本件買戻金の処理について被告乙山屋と特段の交渉も持たなかったことなど前示の一連の事実経過に照らすと、本件物件の支配権の委譲に関する法的処理が留保されたといっても、その実質は、原告においていかなる税務申告を行うかを留保したに過ぎないと認めるべきであり、このような原告の一方的な都合により税務処理が留保されたことをもって、実体的な合意が成立していないとすることは相当ではなく、本件物件の管理処分権限を含む支配権の移転を意図した実体的な法律関係は、本件買戻金の授受によって確定的に生じたものというべきである。
(四) 問題は、その合意を原告の株式の譲渡とみるべきか、本件物件の買戻しとみるべきかであるが、右のような経過のために明確な証拠書類が作成されていないことから、四囲の事情に照らしつつ当事者の意思を合理的に解釈して決するほかはない。
このような観点から考えた場合に、右(二)のとおり、税務対策としての株式譲渡という法技術は模索されたものの、結局そのような処理はとられなかったのであり、税務対策としての目的なくして株式譲渡という形式をとるべき必然性は見当たらないこと、《証拠略》によれば、当時原告の株主は参加人杉山以外にも存在したことが認められるところ、これらの全株主の了解が得られていたかどうかについても判然としないこと、甲野及び参加人杉山において実質的に意図された内容は、あくまでも、本件売買契約上の買戻権に基づく本件物件の買戻しの実現にあったというべきであることなどの事情に照らすと、本件買戻金の授受における当事者の合理的な意思解釈としては、これを本件売買契約に基づく買戻しの実行と認めるのが相当である。
なお、前記のとおり、甲野自身は本件買戻金の授受の当時、これを株式の譲渡代金と理解していたものと認められるところであり、また、参加人杉山において、本件物件の買戻しを認めることにより、資産の買換え特例による利益を放棄することまでは意図していなかったことは容易に想像できるところであるが、法的形式や税務処理はともかく、本件買戻金により本件物件の所有権を実質的に原告から被告乙山屋に移転するという点においては、両者ともに認識が一致していたと認められるところであり、この点は前記認定判断を妨げるものではない。
また、乙一、四によると、参加人杉山と亡ハナは、昭和六〇年一月三一日、原告の全株式につき代金を四億三〇〇〇万円とする売買予約契約を締結したかのごとくであるが、前記一の認定事実に照らすと、その作成日付及び金額の合理性には疑問がある上、甲野の供述によると、その原本はシー・エル・シーに渡してしまったというのであり、これに参加人杉山の供述及び前記一4(二)の事実を総合すると、右乙一、四は、シー・エル・シーから一億一〇〇〇万円の追加融資を得る目的で、シー・エル・シーに示すために作成した内容虚偽の書面と認めることができる。したがって、乙一、四も、本件買戻金の趣旨が本件物件の所有権の買戻しであるという前記認定判断を左右するものではない。
(五) 以上のとおり、本件買戻金の授受は、本件売買契約に基づく買戻権の実行であると認めるべきであり、本件物件の所有権は被告乙山屋に帰属しているといわなければならない。したがって、原告の本件物件の所有権に基づく被告らに対する本訴請求は、その余の点について判断するまでもなく理由がない。
三 本件登記の申請手続の瑕疵
1 本件登記は、前記一6のとおり、被告乙山屋が原告の全株式を取得し、甲野が登記義務者である原告と登記権利者である被告乙山屋の各代表者を兼ねているとして、その申請手続を行い、これが受理されたことによるものである。しかしながら、被告乙山屋が原告の全株式を取得したと認められないことは前示のとおりであるから、結果的には、本件登記は登記義務者である原告の意思に基づかない瑕疵ある申請手続によって実現されたといわざるを得ず、原告はこのことをも理由として本件登記の無効を主張するので、進んで、この点につき検討する。
2 本件登記は、右のとおり申請手続に瑕疵があることは否定できないものの、本件物件についての被告乙山屋の所有権を公示するものとして、その記載が実体的法律関係に符合しており、かつ、本件登記の存在を前提に、被告第一コーポレーションが抵当権及び条件付賃借権の設定を受けて被告第一コーポレーションの登記を経由し、登記上利害関係を有するに至ったことは前示のとおりである。このような場合に、登記が実体的権利関係の公示制度であることにかんがみると、一方において、登記申請手続に瑕疵があるとの一事をもって、本件登記の無効を理由に登記義務者である原告の所有権に基づく抹消登記手続請求が当然に肯認されるべきものとはいえないとともに、他方において、登記上利害関係を有する第三者の出現によって、もはや右抹消登記請求権の行使が許されなくなると解することも相当でなく、登記義務者と登記権利者との間の抹消登記手続請求の関係と、登記義務者と登記上利害関係を有する第三者との間の承諾請求の関係とを個別に考察する必要があるといわなければならない。すなわち、前者の関係においては、登記義務者において登記申請を拒むことができる特段の事情がなく、かつ、登記権利者において当該登記申請が適法であると信ずるにつき正当の事由があるときは、登記義務者は登記権利者に対して右登記の無効を主張し得ないと解するのが相当であり、このことは、登記上利害関係を有する第三者に対する承諾請求とは別個に判断されるべきである。そして、後者の関係においては、登記義務者が、右のとおり登記権利者に対して登記の無効を主張し得ず、その抹消登記手続請求ができない場合に、登記上利害関係を有する第三者に対してその承諾を求めるに由ないことはもとより当然であるが、前記要件が充足されず、登記義務者の抹消登記手続請求が肯認される場合であっても、当該第三者が所有者である登記名義人から実体的に権利の移転又は設定を受け、固有の利益を取得したといえるときは、不動産取引の安全保護の要請上、当該第三者において、当該瑕疵のある登記申請手続に加担したとか、その手続の瑕疵を知りながらあえて登記名義人から権利の移転又は設定を受けたなどの特段の事情のない限り、自己の登記の抹消を当然に受忍すべきいわれはなく、登記権利者の登記の抹消につき、登記義務者から当該第三者に対してその承諾を求めることはできないと解するのが相当である。
3 そこで、右のような見地に立って、まず、原告の被告乙山屋に対する本件登記の抹消登記手続請求について検討する。
(一) まず、登記義務者である原告において、本件売買契約に基づく買戻しについて同時履行の抗弁権を有するなど本件登記を拒むことができる特段の事情があることについては、何ら主張立証がない。もっとも、本件登記により原告が資産の買換え特例の利益を失う結果になるとしても、それは実体的な権利変動に伴う当然の帰結であり、本件登記を拒み得る正当な利益となるものではない。
(二) 次に、本件登記が実現されるに至った経緯についてみるに、甲野が、本件買戻金の授受により被告乙山屋が原告の全株式を取得したと理解したことは前示のとおりであるが、原告補助参加人らに原告の役員を辞任する意思がないことを知りながら、その辞任の登記を行ったことは明らかであり、このこと自体は、仮に被告乙山屋が原告の全株式を取得していたとしても許されるものではなく、本件登記の実現が登記権利者によりいささか自力救済的に行われたのではないかとの疑いを容れる余地があることは否定できない。
しかし、本件売買契約に基づく買戻しの実行がされたにもかかわらず、原告において税務申告を留保して、右権利変動を対外的に公示することを意図的に遅延させるとともに、甲野に対してもその法的な処理を曖昧なままにし、そのため、甲野はこれを株式の譲渡代金であると誤認したのであり、甲野において、被告乙山屋が原告の株主となったと理解したことについては、やむを得ない状況であったということができる。また、被告乙山屋は川崎実業に対する債務の返済期限を迎えて、その資金手当てが緊急の課題となったのに、参加人杉山は、昭和六三年九月二日、本件買戻金は借入金であり、甲野が本件物件の賃料等を受領する権限はないなどと記載した書簡を送り、甲野による本件物件の支配権を一切否定する態度を明らかにするようになり、こうした中で、同年九月一四日には、本件物件は川崎実業の競売申立てに基づく差押えを受け、甲野は本件物件の所有権を喪失する窮地に立たされ、やむなく前記一6(四)の経緯を経て同年一〇月三日に本件登記を実現し、被告第一コーポレーションからの融資を受けて、川崎実業に対する債務の返済を行い、本件物件の所有権を確保することができたことは前示のとおりである。このような本件登記の実現のための一連の経過に照らせば、原告において登記意思の欠缺を理由として本件登記の無効を主張することは信義に反するといわなければならないばかりでなく、被告乙山屋の代表者である甲野において本件登記の申請手続が適法であると信ずるにつき正当の事由があるといわざるを得ない。
(三) そうすると、原告は、被告乙山屋に対して、本件登記の無効を主張し得ないというべきであるから、原告の登記申請手続の瑕疵に基づく本訴抹消登記手続請求は理由がない。
4 次に、原告の被告第一コーポレーションに対する本訴承諾請求についてみるに、以上のとおり、原告の被告乙山屋に対する本件登記の抹消登記手続請求が認められない以上、その余の点について判断するまでもなく、登記申請手続の瑕疵に基づく本訴承諾請求も理由がない(なお、付言すると、被告第一コーポレーションは、前示のとおり、本件物件の所有者である登記名義人の被告乙山屋に対して二四億円を貸し付け、右貸金債権を被担保債権として本件物件につき抵当権及び条件付賃借権の設定を受け、被告第一コーポレーションの登記を経由したものであって、固有の利益を取得したといえることは明らかであるところ、被告第一コーポレーションにおいて瑕疵のある本件登記申請手続に加担したとか、その手続の瑕疵を知りながらあえて右抵当権等の設定を受けたなどの特段の事情の存在は本件証拠上これを窺うことはできない。)。
四 反訴請求の当否
被告乙山屋が本件売買契約に基づく買戻権の実行により本件物件の所有権を取得したことは前示のとおりであり、反訴請求原因2の事実は弁論の全趣旨に照らして明らかであるから、被告乙山屋の反訴請求は理由がある。
五 結論
以上の次第であるから、原告の被告らに対する本訴請求はいずれも理由がないからこれを棄却し、被告乙山屋の反訴請求は理由があるからこれを認容し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九四条後段、九三条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 篠原勝美 裁判官 宮坂昌利 裁判官 岡崎克彦)